漫画雑誌このタグの資料 21 本
- がきデカ(秋田書店・1974年) シリアスな「光る風」の作者が開いた、一発ギャグの時代新着No.201
『がきデカ』は山上たつひこが1974年から1980年まで『週刊少年チャンピオン』に連載したギャグ漫画である。作者は政治色の濃いSF『光る風』で注目された人で、のちに小説家へ転じ、2020年代にも小説を発表している。作品の笑いと、保護者からの反対、作者の歩みを資料で整理する。
- SLAM DUNK(集英社・1990年) 高校バスケを描き、競技の裾野を広げた作品新着No.86
井上雄彦の『SLAM DUNK』は、1990年に『週刊少年ジャンプ』で連載が始まり、1996年に終わった高校バスケットボールの漫画である。賞の記録、テレビアニメ、部数、バスケットボールへの影響を、事典と公式サイトで整理する。
- ドラゴンボール(集英社・1984年) 冒険から格闘へ、世界に広がった少年漫画新着No.85
鳥山明の『ドラゴンボール』は、1984年に集英社の『週刊少年ジャンプ』で連載が始まり、1995年に最終回を迎えた。アニメやゲームへ広がり、公式サイトは世界の多くの国で親しまれていると述べる。連載のいきさつ、単行本の形、部数の数え方を整理する。
- ドラえもん(小学館・1970年) 学年別の雑誌6誌で始まった、国民的な子ども向け漫画新着No.83
『ドラえもん』は、1970年1月号から小学館の幼児向けと学習向けの雑誌6誌で連載が始まった。読者の年齢に合わせて描き分けた第1話が6種類あったことが、2019年の単行本『0巻』で改めて話題になった。連載のいきさつと部数の数え方を、出版社系の記事で整理する。
- 鉄腕アトム(光文社・1952年) 少年雑誌から日本初のテレビアニメ連続シリーズへ新着No.81
手塚治虫の『鉄腕アトム』は、1952年に光文社の月刊誌『少年』で連載が始まり、1968年まで続いた。1963年に虫プロダクションがテレビアニメ化し、毎週放送の連続シリーズの先駆けとなった。連載のいきさつ、受け入れられ方、のちへの影響を公式の資料で整理する。
- 雑誌から単行本へ、そして電子書籍へ 漫画が読者に届く道筋の変化新着No.73
漫画は雑誌に連載され、人気作が単行本になる流れで長く届けられてきた。出版科学研究所によると、2025年のコミック市場は6925億円で、電子が76.1%を占め、紙のコミック誌は392億円にまで減った。連載の場は電子のサービスへ移りつつあるが、数字の条件を確かめて読む必要がある。
- 編集者の仕事と連載のしくみ 担当編集、打ち合わせ、連載会議新着No.72
出版社の公式サイトと採用の記事から、担当編集の決まり方、作家との打ち合わせ、連載を決める会議の流れを確かめた。週刊少年マガジンは3話分のネームと作画見本を会議に出すとし、別冊マーガレットはネームを全員が読む会議で掲載作を決める。編集者の仕事には漫画以外の業務も多い。
- 小学館と週刊少年サンデー 学習雑誌から出発した出版社の漫画誌新着No.53
小学館は1922年に相賀武夫が創設した、小学生向けの学年別学習雑誌から出発した出版社である。1959年に少年サンデーを創刊し、のちにビッグコミックやコロコロコミックなど世代別の漫画誌を増やしていった。2026年春の週刊少年サンデーの紙の印刷証明付き部数は、3期とも12万部である。
- 講談社と週刊少年マガジン 雑誌を出し続けた出版社が漫画週刊誌を創刊するまで新着No.52
講談社は1909年に野間清治が設立した大日本雄弁会に始まり、1911年に講談社を起こした。創業50周年の1959年に週刊少年マガジンを創刊し、1997年に440万部の最高部数を記録した。2026年春の紙の印刷証明付き部数は平均28万1000部で、集計の条件が違う数字を並べるときは断りが要る。
- 集英社と週刊少年ジャンプ 娯楽雑誌の出版社が漫画誌の首位に立つまで新着No.51
集英社は小学館の創業者が娯楽雑誌の会社として準備し、1925年から1926年にかけて生まれた。1968年に少年ジャンプを月2回刊で創刊し、翌年に週刊化し、1973年に少年漫画誌の発行部数で首位に立った。1994年末発売号の653万部と2026年春の平均98万5000部は集計の仕方が違い、並べて増減を語るときは条件を添える必要がある。
- 4コマ漫画とギャグ漫画 新聞の小さな枠から笑いの革命まで新着No.34
4コマ漫画は、四つの画面で構成される漫画で、新聞の連載欄から育った。戦後はサザエさんが定着し、1981年には4コマ専門誌のまんがタイムが創刊された。ギャグ漫画は、1962年に赤塚不二夫がおそ松くんを週刊少年サンデーで連載したことを、本稿は転機の一つとして取り上げる。
- 青年漫画と劇画 貸本から青年誌までの道すじ新着No.33
劇画は、1950年代の大阪の貸本の世界で、辰巳ヨシヒロらが子ども向けの漫画と区別するために名付けた。1960年代に少年誌へ入り、1967年の週刊漫画アクション、1968年のビッグコミックなどの青年誌につながった。1979年と1980年にはヤングジャンプとヤングマガジンが続いた。
- 少女漫画 生まれと形、24年組と呼ばれる流れ新着No.32
少女漫画は、少女向けの雑誌に載る漫画として、戦前の少女雑誌と戦後の漫画の流れが合わさって育った。1960年代の週刊化を経て、1970年代に萩尾望都、竹宮惠子、山岸凉子、大島弓子らが表現を広げ、24年組と呼ばれる。呼び名の由来は確かめられなかった。2026年10月には国立新美術館で初の大規模な少女漫画展が始まった。
- 少年漫画 生まれと形、雑誌と読者層新着No.31
少年漫画は、小学校高学年から中学生ごろの男の子を読者に想定した雑誌に載る漫画を指す。今の形は、1959年3月17日にマガジンとサンデーが同日に創刊した少年週刊誌から始まり、1968年のジャンプ創刊で三誌が競う構図になった。紙の週刊誌の部数は大きく下がり、2026年4〜6月期にはジャンプも平均100万部以下になった。
- 2000年以降 電子書籍とウェブ漫画、配信で広がる市場新着No.7
紙の雑誌が縮む一方、電子コミックが市場の7割を超えた2000年以降をたどる。集英社の配信アプリや、2024年の7,043億円までの市場の動きを、出版科学研究所の数字で確かめた。海外市場の規模は、確かな公的数字を確かめられなかったので書かない。
- 1990年代 紙の売り上げが頂点に達し、雑誌が下り坂に入る新着No.6
紙のコミック市場が1995年に頂点の5,864億円に達し、同じ年の初めに週刊少年ジャンプが653万部を記録した。その後に雑誌が長い下り坂に入る一方、単行本の累計1億部が相次いだ。数字で見る十年として書く。
- 1980年代 ジャンプが400万部へ、青年誌が増え、アニメ化が広がる新着No.5
週刊少年ジャンプが200万部から400万部に倍増し、ヤングマガジンやスピリッツなど青年向けの雑誌が相次いで創刊された時代をまとめる。コミックスの普及についての数字は、確かめられなかったので書かない。
- 1970年代 ジャンプの首位、少女漫画の革新、青年誌への入り口新着No.4
ジャンプが部数で首位に立った1973年、少女漫画が表現を広げた24年組の時代、青年向け雑誌の広がり、新人賞の整備を、確かめた資料の範囲でまとめる。ギャグ漫画の細部は、資料が揃わず書かない。
- 1960年代 週刊少年誌の創刊競争、劇画、少女漫画の広がり新着No.3
週刊少年誌の創刊競争、貸本から広がった劇画とガロ、少女向け週刊誌の創刊、テレビアニメ化とコミックスの登場を、確かめた範囲でつなぐ。漫画が週刊のメディアに変わった十年として書いた。
- 戦後〜1959 赤本から手塚治虫、トキワ荘、そして週刊誌へ新着No.2
戦後の赤本と貸本から、手塚治虫の登場、投稿雑誌とトキワ荘、劇画の誕生、1959年の週刊誌創刊までをたどる。物語を長く読ませる漫画が、場所を変えながら育っていく流れを書いた。
- 戦前まで(〜1945) 絵巻と浮世絵から、新聞・雑誌の連載漫画へ新着No.1
絵巻や絵手本の時代から、明治の風刺雑誌、新聞の時事漫画、子ども向け雑誌の連載までをたどる。漫画が絵の一種から、毎号読み継がれる読み物へ変わっていく流れを、確かめられた資料の範囲で書いた。
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