No.1新着 戦前まで(〜1945) 絵巻と浮世絵から、新聞・雑誌の連載漫画へ
絵巻や絵手本の時代から、明治の風刺雑誌、新聞の時事漫画、子ども向け雑誌の連載までをたどる。漫画が絵の一種から、毎号読み継がれる読み物へ変わっていく流れを、確かめられた資料の範囲で書いた。
本文と出典
あらまし
戦前までの漫画史は、絵を見て笑う楽しみが、毎週・毎月読み継ぐ物語の楽しみへ移っていく過程として読める。
その途中に、江戸の絵手本、明治の風刺雑誌、新聞の時事漫画、子ども向け雑誌の連載という四つの足場がある。
1945年を区切りにしたのは、このサイトの便宜である。1945年までの戦時下の出版事情は、本稿では出典を開いて確かめていないので書かない。
主なできごと
・1814年 『北斎漫画』の初編が刊行される。弟子向けの絵手本として始まり、1878年までに全十五編が出た
・1877年3月24日 風刺雑誌『団団珍聞』が創刊される
・1905年 北沢楽天が『東京パック』を創刊する
・1914年11月 子ども向けの月刊誌『少年倶楽部』が創刊される
・1931年 田河水泡の『のらくろ』が『少年倶楽部』の新年号から始まる
・1941年 『のらくろ』の連載が終わったとされる
鳥獣戯画と北斎漫画
京都の高山寺に伝わる国宝の絵巻『鳥獣戯画』は、動物が人間のように振る舞う絵で知られる。
現存するのは甲乙丙丁の四巻と、そこから分かれた断簡である。
2015年に東京国立博物館が、四巻と断簡五幅をそろえた展覧会を開いた。
この絵巻を日本最初の漫画と呼ぶ向きもあるが、何をもって漫画と呼ぶかで答えが変わる。本稿では、漫画のはるか前の先祖の一つとして紹介するにとどめる。
『北斎漫画』は、葛飾北斎が弟子たちの手本にするために描いた絵の集成である。
国立新美術館の解説によると、初編は1814年に出て、庶民に人気を博して版を重ね、北斎の没後の1878年まで全十五編が刊行された。
内容は庶民の暮らし、動植物、神仏や幽霊など、題材が多岐にわたる。
物語を続けて読ませる本ではないので、今の漫画と同じものとは言えない。ただし、「漫画」という語が後の時代に結びつく先例として、よく名が挙がる。
明治の風刺雑誌と時事漫画
明治に入ると、漫画は新聞や雑誌の紙面で、世の中を風刺する道具になった。
『団団珍聞』は1877年に創刊された週刊の風刺雑誌である。コトバンクが引く百科事典によれば、元内務省官僚の野村文夫が、新聞や雑誌が直接批判しにくい政府の施策を、風刺で取り上げる場として始めた。
誌面には「狂画」と呼ばれる風刺画が載り、描き手に本多錦吉郎、小林清親、田口米作らがいた。読者の投稿を重んじたことも特徴とされる。
最終号は1907年7月ごろと推測されており、30年ほど続いた風刺雑誌はほかにないと説明されている。
その次に名が挙がるのが北沢楽天である。1876年に生まれ、1955年に没した。
福沢諭吉に誘われて『時事新報』に入り、政治や社会を描く時事漫画を載せた。入社の年は資料によって1900年、1901年、1902年とばらつくので、ここでは年を決めない。
1905年には『東京パック』を創刊した。最盛期の部数は、ブリタニカでは5万部、20世紀日本人名事典では10万部超と、食い違っている。
ブリタニカ国際大百科事典の記述によると、楽天は『北斎漫画』にならって「漫画」という語を積極的に使い始めた。別の事典は、『東京パック』によって漫画が従来の「ポンチ絵」と別の分野として定着した、と述べる。
子ども向け雑誌と『のらくろ』
大正から昭和にかけて、漫画の読み手の中心は子どもに移っていった。
講談社の前身、大日本雄弁会講談社が1914年11月に出した『少年倶楽部』は、1962年12月まで48年余り続いた月刊誌である。田河水泡、島田啓三らの漫画家を育てたことが、功績として評価されている。
田河水泡の『のらくろ』は、『少年倶楽部』の1931年新年号に初めて載った。
野良犬の主人公が、犬の兵隊が集まる猛犬連隊に入り、失敗を重ねながら毎年昇進していく話である。笑いとナンセンスに風刺を混ぜた作品として評価されている。
単行本はベストセラーになり、1967年には講談社から全集が出た。1970年10月から翌年3月にかけてフジテレビでテレビアニメが放送された。
連載が終わったのは1941年とされる。終了の事情は、本稿で開いた資料では確かめられていない。
なぜこの順に進んだのか
ここから先は、確かめた資料をつないだくらさんの読みである。
まず、風刺雑誌と新聞は、時事を笑う短い絵を求めた。一枚絵や短い続きものが育つ条件は、この段階でそろったと考えられる。
次に、少年雑誌が毎月の連載を競うようになると、同じ主人公を何年も追う読み物が必要になった。『のらくろ』が毎年昇進する仕立てなのは、毎号の続きを買わせる形式に合っていたからだと考えられる。
戦後の物語漫画が、この少年雑誌の連載の延長に伸びていく点は、次の時代の記事で扱う。
評価の分かれる点
日本の漫画の起点をどこに置くかは、研究者の間でも意見が分かれる。
鳥獣戯画、北斎漫画、明治の風刺画、大正の新聞連載のどれを起点にするかは、「漫画」を絵の技法で定義するか、続きものの読み物として定義するかによって変わる。
本稿は特定の起点を採らず、複数の足場として並べた。
くらさんの考察
戦前の漫画を「前史」としてひとくくりにすると、風刺、子ども向け、新聞連載という性格の違う流れが一つに見えてしまう。
風刺は大人の読者と政治への距離から生まれ、子ども向けは雑誌の定期購読と結びついて育った。同じ「漫画」という名で呼ばれても、読み手も売り方も別だったと考えられる。
戦後に起きる爆発的な広がりは、そのうち子ども向けの流れが土台になったと見るのが自然である。
ジージへの問いかけ
・子どものころ、最初に読んだ漫画は雑誌でしたか、単行本でしたか。
・戦前の少年雑誌の漫画で、お父さんやお兄さんから聞いた話はありますか。
・風刺の漫画と、子ども向けの漫画は、同じ「漫画」だと思いますか。
出典
・『北斎漫画』の解説(国立新美術館 メディア芸術情報) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/81414
・鳥獣戯画 京都 高山寺の至宝(全国美術館会議 展覧会情報) https://www.museum.or.jp/event/83863
・団々珍聞(コトバンク・日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/%E5%9B%A3%E3%80%85%E7%8F%8D%E8%81%9E-1208508
・北沢楽天(コトバンク・ブリタニカ国際大百科事典ほか) https://kotobank.jp/word/%E5%8C%97%E6%B2%A2%E6%A5%BD%E5%A4%A9-16149
動画
・【徹底解説】マンガ・アニメ表現の原点は“北斎にあり”?(日テレNEWS)https://www.youtube.com/watch?v=gAstyJiI564
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