名作を読む名作には、残るわけがある
作品を1つずつ、生まれたいきさつ、当時の受け止め、なぜ今も語られるのかを調べました。台詞やコマの絵は載せていません。
No.81鉄腕アトム手塚治虫1952年、1950年代少年雑誌から日本初のテレビアニメ連続シリーズへNo.82サザエさん長谷川町子1946年、1940年代福岡の夕刊から、家族の4コマ漫画の定番へNo.83ドラえもん藤子・F・不二雄1970年、1970年代学年別の雑誌6誌で始まった、国民的な子ども向け漫画No.84ベルサイユのばら池田理代子1972年、1970年代少女漫画で歴史ものを成り立たせた作品No.85ドラゴンボール鳥山明1984年、1980年代冒険から格闘へ、世界に広がった少年漫画No.86SLAM DUNK井上雄彦1990年、1990年代高校バスケを描き、競技の裾野を広げた作品No.201がきデカ山上たつひこ1974年、1970年代シリアスな「光る風」の作者が開いた、一発ギャグの時代
漫画家と編集者
- 手塚治虫ストーリー漫画とテレビアニメを切り開いた人手塚治虫(1928〜1989年)は、映画の手法を取り入れたストーリー漫画を確立し、日本初の連続テレビアニメにも関わった漫画家である。藤子不二雄、石ノ森章太郎、萩尾望都が、それぞれ手塚との出会いを語る資料が残っている。
- 長谷川町子『サザエさん』で家庭漫画を描いた女性漫画家長谷川町子(1920〜1992年)は、15歳で田河水泡に弟子入りし、戦後に福岡で『サザエさん』の連載を始めた漫画家である。日本で最初の女性プロ漫画家と紹介されることが多く、没後に国民栄誉賞を受けた。
- 石ノ森章太郎漫画の幅を広げ、「萬画」を名乗った人石ノ森章太郎(1938〜1998年)は、SF、時代物、少女漫画、実験的な作品、経済や歴史の学習漫画まで描き分けた漫画家である。1989年に、自らを萬画家と名乗ると宣言した。
- 藤子・F・不二雄「すこしふしぎ」を描き続けた藤子不二雄の一人藤子・F・不二雄(本名・藤本弘、1933〜1996年)は、小学校の同級生の安孫子素雄とコンビ「藤子不二雄」で活動し、1987年にコンビを解消して独立した。日常に少しふしぎが入り込むSFの作風で知られる。
- 水木しげる戦地の経験を紙芝居と貸本漫画から妖怪へ水木しげる(1922〜2015年)は、戦地で左腕を失ったあと、紙芝居と貸本漫画を経て、妖怪漫画の第一人者になった。1965年に『週刊少年マガジン』で鬼太郎の連載を始め、戦争体験を描いた作品でも海外の賞を受けた。
- 萩尾望都少女漫画に少年とSFの世界を持ち込んだ人萩尾望都(1949年生まれ)は、1969年にデビューし、『ポーの一族』などで少女漫画の表現を広げた漫画家である。2012年に紫綬褒章、2019年に文化功労者、2024年に日本芸術院会員となった。