漫画家このタグの資料 20 本
- 羊の木(講談社・2011年) 元受刑者を迎えた港町を描く、ギャグ漫画家二人の組み合わせ新着No.89
『羊の木』は山上たつひこが原作、いがらしみきおが作画を担当し、2011年から2014年まで講談社の『イブニング』に連載された漫画である。2014年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門の優秀賞を受け、2018年に吉田大八監督で実写映画になった。原作者と漫画家の分業と、受賞・映画化の流れを資料で整理する。
- 光る風(講談社・1970年) 少年誌の真ん中に置かれた、近未来日本の悪夢新着No.88
『光る風』は山上たつひこが1970年に講談社の『週刊少年マガジン』へ連載したSF漫画である。軍事国家に傾いた近未来の日本を舞台にした作品で、のちに『がきデカ』で知られる作者が、最初に注目を集めた一作とされる。連載の時期、物語の入り口、評価、のちの単行本を、確かめられた資料の範囲で整理する。
- 喜劇新思想大系(マンガストーリー・1972年) シリアスな作者が一転して描いた、写実的な絵のギャグ新着No.87
『喜劇新思想大系』は、山上たつひこが1972年に双葉社の雑誌『マンガストーリー』で連載を始めたギャグ漫画である。シリアスな作品で知られた作者が、写実的な画風のままギャグの作風を確立した転換点とされ、2年後の『がきデカ』に引き継がれた。雑誌の歩みと、2004年の完全版までの単行本の流れを資料で整理する。
- 寺田ヒロオ トキワ荘の兄貴分と、週刊誌から退いた人新着No.205
寺田ヒロオ(1931〜1992年)は、トキワ荘の漫画家たちの兄貴分とされ、『スポーツマン金太郎』などで知られる。のちに週刊誌の連載から退いた理由は、資料によって説明が分かれ、確定していない。
- がきデカ(秋田書店・1974年) シリアスな「光る風」の作者が開いた、一発ギャグの時代新着No.201
『がきデカ』は山上たつひこが1974年から1980年まで『週刊少年チャンピオン』に連載したギャグ漫画である。作者は政治色の濃いSF『光る風』で注目された人で、のちに小説家へ転じ、2020年代にも小説を発表している。作品の笑いと、保護者からの反対、作者の歩みを資料で整理する。
- 手塚治虫文化賞 朝日新聞社が1997年に創った漫画の賞新着No.161
手塚治虫文化賞は、朝日新聞社が1997年に創設した漫画の賞である。主催者の公式ページで、四つの賞の内容、賞品、第1回と第2回、最近の第28回から第30回までの結果を確かめた。選考の仕組みと、第31回の結果は確かめられていない。
- 萩尾望都 少女漫画に少年とSFの世界を持ち込んだ人新着No.106
萩尾望都(1949年生まれ)は、1969年にデビューし、『ポーの一族』などで少女漫画の表現を広げた漫画家である。2012年に紫綬褒章、2019年に文化功労者、2024年に日本芸術院会員となった。
- 水木しげる 戦地の経験を紙芝居と貸本漫画から妖怪へ新着No.105
水木しげる(1922〜2015年)は、戦地で左腕を失ったあと、紙芝居と貸本漫画を経て、妖怪漫画の第一人者になった。1965年に『週刊少年マガジン』で鬼太郎の連載を始め、戦争体験を描いた作品でも海外の賞を受けた。
- 藤子・F・不二雄 「すこしふしぎ」を描き続けた藤子不二雄の一人新着No.104
藤子・F・不二雄(本名・藤本弘、1933〜1996年)は、小学校の同級生の安孫子素雄とコンビ「藤子不二雄」で活動し、1987年にコンビを解消して独立した。日常に少しふしぎが入り込むSFの作風で知られる。
- 石ノ森章太郎 漫画の幅を広げ、「萬画」を名乗った人新着No.103
石ノ森章太郎(1938〜1998年)は、SF、時代物、少女漫画、実験的な作品、経済や歴史の学習漫画まで描き分けた漫画家である。1989年に、自らを萬画家と名乗ると宣言した。
- 長谷川町子 『サザエさん』で家庭漫画を描いた女性漫画家新着No.102
長谷川町子(1920〜1992年)は、15歳で田河水泡に弟子入りし、戦後に福岡で『サザエさん』の連載を始めた漫画家である。日本で最初の女性プロ漫画家と紹介されることが多く、没後に国民栄誉賞を受けた。
- 手塚治虫 ストーリー漫画とテレビアニメを切り開いた人新着No.101
手塚治虫(1928〜1989年)は、映画の手法を取り入れたストーリー漫画を確立し、日本初の連続テレビアニメにも関わった漫画家である。藤子不二雄、石ノ森章太郎、萩尾望都が、それぞれ手塚との出会いを語る資料が残っている。
- サザエさん(夕刊フクニチ・1946年) 福岡の夕刊から、家族の4コマ漫画の定番へ新着No.82
長谷川町子の『サザエさん』は、終戦の翌年の1946年に福岡の夕刊紙で始まった4コマ漫画である。のちに朝日新聞へ移り、1974年2月まで続いた。連載のいきさつ、単行本の出版、1969年に始まったテレビアニメまでを、公式サイトと事典で整理する。
- ネームから原稿まで 漫画を描く工程新着No.71
小学館の新人コミック大賞の養成講座は、漫画を描く流れを、ネーム、下描き、ペン入れ、仕上げの4段階で説明している。講談社の編集者の1日の紹介からは、原稿ができたあとに、編集者がセリフの大きさや書体を指定する入稿作業があることが分かる。順序は作家によって違い、デジタルでも大筋は同じである。
- スポーツ漫画 スポ根の流行から今の競技漫画まで新着No.35
スポーツ漫画は、競技を題材にした漫画である。1950年代の熱血柔道漫画のイガグリくんを前史として、1966年の巨人の星、1968年のあしたのジョーでスポ根が流行した。1990年代にはSLAM DUNKが広い読者を得て、2022年に映画になった。
- 4コマ漫画とギャグ漫画 新聞の小さな枠から笑いの革命まで新着No.34
4コマ漫画は、四つの画面で構成される漫画で、新聞の連載欄から育った。戦後はサザエさんが定着し、1981年には4コマ専門誌のまんがタイムが創刊された。ギャグ漫画は、1962年に赤塚不二夫がおそ松くんを週刊少年サンデーで連載したことを、本稿は転機の一つとして取り上げる。
- 青年漫画と劇画 貸本から青年誌までの道すじ新着No.33
劇画は、1950年代の大阪の貸本の世界で、辰巳ヨシヒロらが子ども向けの漫画と区別するために名付けた。1960年代に少年誌へ入り、1967年の週刊漫画アクション、1968年のビッグコミックなどの青年誌につながった。1979年と1980年にはヤングジャンプとヤングマガジンが続いた。
- 少女漫画 生まれと形、24年組と呼ばれる流れ新着No.32
少女漫画は、少女向けの雑誌に載る漫画として、戦前の少女雑誌と戦後の漫画の流れが合わさって育った。1960年代の週刊化を経て、1970年代に萩尾望都、竹宮惠子、山岸凉子、大島弓子らが表現を広げ、24年組と呼ばれる。呼び名の由来は確かめられなかった。2026年10月には国立新美術館で初の大規模な少女漫画展が始まった。
- 戦後〜1959 赤本から手塚治虫、トキワ荘、そして週刊誌へ新着No.2
戦後の赤本と貸本から、手塚治虫の登場、投稿雑誌とトキワ荘、劇画の誕生、1959年の週刊誌創刊までをたどる。物語を長く読ませる漫画が、場所を変えながら育っていく流れを書いた。
- 戦前まで(〜1945) 絵巻と浮世絵から、新聞・雑誌の連載漫画へ新着No.1
絵巻や絵手本の時代から、明治の風刺雑誌、新聞の時事漫画、子ども向け雑誌の連載までをたどる。漫画が絵の一種から、毎号読み継がれる読み物へ変わっていく流れを、確かめられた資料の範囲で書いた。
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