No.51新着 集英社と週刊少年ジャンプ 娯楽雑誌の出版社が漫画誌の首位に立つまで
集英社は小学館の創業者が娯楽雑誌の会社として準備し、1925年から1926年にかけて生まれた。1968年に少年ジャンプを月2回刊で創刊し、翌年に週刊化し、1973年に少年漫画誌の発行部数で首位に立った。1994年末発売号の653万部と2026年春の平均98万5000部は集計の仕方が違い、並べて増減を語るときは条件を添える必要がある。
本文と出典
あらまし
集英社は、学年別の学習雑誌を出していた小学館に対し、娯楽の雑誌を出す会社として準備された出版社である。集英社が公開する年表「集英社小史」は、1925年を「集英社ゼロ年」と呼び、この年に集英社名で最初の雑誌を出したと記す。設立は翌1926年とされている。戦争で社業は中断したが、1947年に合資会社として再出発し、1949年に株式会社へ改組した。
漫画誌の面では、1968年に『少年ジャンプ』を月2回刊で創刊し、1969年に週刊化して『週刊少年ジャンプ』となった。同社の年表は、1973年8月に『週刊少年ジャンプ』が『週刊少年マガジン』を抜き、少年漫画誌の発行部数で首位に立ったと記す。1994年12月発売の号は653万部で、集英社は歴代最高と発表している。一方、日本雑誌協会が公表した2026年4月から6月の印刷証明付き部数は、3か月平均で98万5000部だった。
主なできごと
・1925年 集英社名の雑誌第1号『尋常小学一年女生』創刊。年表は「集英社ゼロ年」とする
・1926年 集英社設立。小学館の事務所に仮営業所の看板を掲げたと年表にある
・1947年 合資会社集英社として登記し、出版活動を再開
・1949年 株式会社集英社に改組。8月に雑誌『おもしろブック』創刊
・1952年 『おもしろブック』4月号が31万8000部を発行し、少年雑誌のトップに立ったと年表にある
・1959年 『おもしろブック』を改題して『少年ブック』創刊
・1964年 『少年ブック』連載の手塚治虫『ビッグX』が、集英社作品として初のテレビアニメ化
・1968年 『少年ジャンプ』(月2回刊)創刊
・1969年 『週刊少年ジャンプ』に。11月にジャンプコミックスを発刊
・1971年 新人賞「手塚賞」を創設
・1973年 『週刊少年ジャンプ』が少年漫画誌の発行部数で首位に
・1974年 ギャグ漫画家の登竜門として「赤塚賞」を設立
・1994年12月 1995年3・4合併号が653万部(集英社の発表)
・2014年9月 アプリ『少年ジャンプ+』配信開始
・2026年4月〜6月 印刷証明付き部数の3か月平均が98万5000部(日本雑誌協会)
小学館のとなりで生まれた出版社
年表によると、小学館の創業者である相賀武夫は、学習色の強い小学館の学年別学習雑誌に対して、娯楽雑誌を出す会社の設立を準備した。1925年9月に集英社名の雑誌『尋常小学一年女生』を出し、12月にも複数の誌を創刊している。1926年に集英社が設立され、8月には読物雑誌を出した。
戦後は、1947年12月に紙芝居で人気だった山川惣治の『少年王者』を単行本のシリーズ『おもしろブック』の第1弾として出し、大ヒットとなった。1949年8月には、改組後の最初の雑誌として『おもしろブック』を創刊している。1952年の4月号が31万8000部で少年雑誌のトップに立ったという記述が年表にあり、少年向けの市場で早くから存在感を持っていたことが分かる。漫画の面では、『少年ブック』に連載された手塚治虫『ビッグX』が1964年にテレビアニメ化された。ジャンプは、こうした少年雑誌の積み重ねのうえに出てきた雑誌と考えられる。
ジャンプの創刊から首位まで
『少年ジャンプ』の創刊年は1968年である。創刊の月について、集英社の年表は月を明記していない。オリコンの記事は、1968年7月に月2回刊で創刊され、1969年から週刊化したと報じている。
1969年には、人気連載を単行本にした「ジャンプコミックス」が発刊された。年表には、本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』と永井豪『ハレンチ学園』の名が挙がる。1971年にはストーリー漫画の新人発掘を目的に手塚賞が、1974年にはギャグ漫画家の登竜門として赤塚賞が設けられた。新人賞の創設と連載の単行本化が、創刊から数年のうちにそろったことになる。
1973年8月の首位は、年表では事実だけが書かれており、理由の説明はない。のちの代表作では、1976年に秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、1997年に尾田栄一郎『ONE PIECE』が連載を始めたと年表にある。
653万部と98万5000部をどう読むか
653万部は、1994年12月に発売された1995年3・4合併号の部数である。集英社は歴代最高の記録を更新したと記し、オリコンは発売日を12月20日と伝える。つまり1号の発行部数の最高値である。
98万5000部は、日本雑誌協会が年4回公表する印刷証明付き部数の、2026年4月から6月の3か月平均である。同協会の表では、2025年10月から12月が102万2500部、2026年1月から3月が100万4167部で、報道は2008年の公表開始以来、初めて100万部を下回ったと伝える。
二つの数字は、1号の最高値と3か月平均、集英社の発表と第三者による印刷証明付きの公表という違いがある。どちらも紙の雑誌の部数であり、電子の読者は入っていない。集英社は『少年ジャンプ+』が2024年に創刊10周年を迎え、月間ユーザー数が1200万人以上になったと年表で述べるが、この人数の数え方は確かめていない。
評価の分かれる点
「首位」や「最高」は、数え方で意味が変わる。年表の1973年の首位は発行部数の比較であり、売れた部数や読者の数ではない。また、他社の誌の最高部数と比べるときも、公表の形式がそろっているとは限らない。653万部を、2026年の98万5000部の何倍かという形で単純に比べることは、条件が違うため避けた。
くらさんの考察
1969年のジャンプコミックス、1971年の手塚賞、1974年の赤塚賞が数年のうちに並ぶことから、ジャンプは雑誌の売れ行きだけでなく、新人の発掘と、連載を本にして売る流れを同時に組んでいたと考えられる。ただし、これが首位の理由だったかどうかは、確かめた資料からは言えない。
日本経済新聞は、週刊漫画雑誌の連載で読者を集めて単行本につなげる仕組みが出版社の生命線だったとし、近年は電子版や映像化、海外のライセンスが収益源になったと伝える。ジャンプの部数の動きは、雑誌そのものの役割が変わってきたことの一例と読める。この点は73で詳しく扱う。
ジージへの問いかけ
1968年は、ジージが14歳の年です。『少年ジャンプ』が創刊されたとき、書店の店頭で目にした記憶はあるでしょうか。
『少年ブック』や『おもしろブック』のような、ジャンプより前の少年雑誌を読んだことはありますか。
週刊誌が当たり前になる前の少年雑誌と、ジャンプ以後の違いを、読む側として感じたことはありましたか。
出典
・集英社小史(集英社公式・年表) https://www.shueisha.co.jp/history/
・日本雑誌協会 印刷証明付部数 週刊少年ジャンプ https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/mag/252
・オリコンニュース『週刊少年ジャンプ』平均発行部数100万部割れ https://www.oricon.co.jp/news/2472409/full/
・日本経済新聞「週刊少年ジャンプ」、紙部数が初の100万部割れ https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC060GU0W6A800C2000000/
動画
・【次の100年に名前を刻め】集英社創業100周年記念スペシャルムービー第1弾【名前篇】(集英社マンガ公式、ジャンプチャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=qsBBZCk_Cw0
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