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No.3新着 1960年代 週刊少年誌の創刊競争、劇画、少女漫画の広がり

週刊少年誌の創刊競争、貸本から広がった劇画とガロ、少女向け週刊誌の創刊、テレビアニメ化とコミックスの登場を、確かめた範囲でつなぐ。漫画が週刊のメディアに変わった十年として書いた。

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登録日時
2026年11月1日 06:19
出典を確かめた日
2026年11月1日
分野
1960年代
立場
事実・データ
タグ
少年漫画新着少女漫画新着漫画雑誌新着アニメ化・映像化新着集英社新着小学館新着講談社新着手塚治虫・トキワ荘新着
作品・人物
鉄腕アトム、週刊少年サンデー、ガロ、白土三平、週刊マーガレット、赤塚不二夫
資料の種類
事典・概説
年代
1960年代

本文と出典

あらまし

1960年代の漫画は、週刊誌とテレビによって、読む人の数も描き方も変わった。
前の時代に貸本屋と月刊誌で育った漫画が、週刊の少年誌に集まり、同じ時期に少女向けの週刊誌と、大人向けの劇画も広がった。
手塚治虫の『鉄腕アトム』がテレビアニメになった1963年は、漫画と映像が結びつく出発点である。

主なできごと

・1959年3月 『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』が創刊される(この十年の出発点)
・1962年 赤塚不二夫の『おそ松くん』が『少年サンデー』で連載を始める
・1963年1月1日 『鉄腕アトム』がフジテレビでテレビアニメとして放送を始める
・1963年4月 集英社が『週刊マーガレット』を創刊する
・1964年 白土三平の『カムイ伝』が、青林堂の月刊誌『ガロ』で始まる
・1966年12月 手塚治虫の虫プロ商事が月刊誌『COM』を創刊し、『火の鳥』の連載を始める
・1967年 赤塚不二夫の『天才バカボン』が始まる
・1968年1月 集英社が『マーガレットコミックス』を発刊する
・1968年7月11日 集英社が『少年ジャンプ』を月2回刊で創刊する
・1969年9月 『少年ジャンプ』が週刊化し、11月に『ジャンプコミックス』が出る

週刊少年誌とテレビ

週刊誌になると、漫画家は毎週の連載を持つようになる。
その中で、笑いを売りにした作品も伸びた。日本大百科全書は、赤塚不二夫を、長谷川町子と並ぶ戦後のギャグ漫画家の代表と位置づける。『おそ松くん』は1962年に『少年サンデー』で始まった。『天才バカボン』は1967年の作とされる。
テレビアニメ化も、この時期の大きな変化である。
手塚治虫の公式年譜によると、国産初の長編テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』は、1963年1月1日にフジテレビで放送が始まった。同じ年の9月には、アメリカのNBCで『ASTRO BOY』として放送が始まっている。
手塚治虫公式サイトは、この放送が第1次テレビアニメブームのきっかけになったと述べる。漫画の人気がアニメに及び、アニメの人気が漫画の売り上げに返ってくる循環の端緒と考えられる。

劇画とガロ

劇画は、貸本の世界から生まれた。コトバンクの百科事典の記述では、1964年の『ガロ』の創刊は、劇画雑誌と銘打ったものとして挙げられている。水木しげるやつげ義春の登場と合わせて、劇画という呼び名が一般に広がったとされる。
『ガロ』は、白土三平が『サスケ』の印税をもとに青林堂から出した雑誌だと、報道は伝える。白土の『カムイ伝』は、最下層の身分に生まれた主人公を通して封建社会への怒りを描き、1964年に連載を始めた。断続的に約40年続き、未完に終わった。
1960年代の若者の時代状況と合って、「白土ブーム」を呼んだと報じられている。
手塚の側も黙っていなかった。公式年譜によれば、虫プロ商事は1966年12月25日に『COM』を創刊し、『火の鳥』の連載を始めた。
コトバンクの記述は、後に劇画が載ったのは少年週刊雑誌だったと述べる。劇画は貸本や専門誌にとどまらず、週刊誌の読者にも届いたと読める。

少女向けの週刊誌とコミックス

集英社の公式年表によれば、1963年4月に、少女向けの雑誌『少女ブック』を引き継ぐ形で『週刊マーガレット』が創刊され、12月に『別冊マーガレット』が出た。
1967年12月には『りぼんコミックス』、1968年1月には『マーガレットコミックス』が出た。集英社は後者を、本格的なコミックス単行本の先鞭だと自社で位置づけている。
雑誌で読んだ連載を、単行本で買い直す習慣は、この辺りから整っていったと考えられる。
少年向けでは、1968年7月11日に『少年ジャンプ』が創刊された。
集英社の公式記事によれば、創刊時には有名な漫画家は他誌で描いていたため、有望な若手を探して育てる方針を取った。「新人育成」と「読者アンケートの重視」が、創刊時から掲げた二つの主義である。1969年に週刊化し、11月にジャンプコミックスが出た。

なぜ受けたのか

この十年に漫画が受けた理由を、本稿で開いた資料から直接示すことはできない。
確かめられるのは、出版社が週刊誌と単行本を一つの仕組みにそろえ、テレビが漫画の知名度を広げたという供給側の事実である。

評価の分かれる点

劇画を誰がいつ名づけたか、劇画と少年誌の関係をどう描くかは、論者によって評価が割れる。
コトバンクの記述は辰巳ヨシヒロらを命名の中心に置くが、ほかの描き手も同じ時期に別の呼び方を使っていた可能性が残る。本稿は、確かめられた範囲で書いている。

くらさんの考察

この十年で、漫画は「一人の作家が描く作品」から、「編集部と作家が週ごとに作る製品」へと性格を変えたと考えられる。
読者アンケートを重視するジャンプの方針は、その象徴である。
一方で、ガロやCOMのように、商業的な売り上げと別の場所で表現を試す雑誌が現れたことも見逃せない。

ジージへの問いかけ

・週刊誌が出始めたころ、近所で最初に回し読みした雑誌は何でしたか。
・『鉄腕アトム』のテレビ放送を初めて見たときのことを覚えていますか。
・劇画と少年漫画の違いを、ジージはどんなところに感じましたか。

出典

・漫画週刊誌の日 3月17日(nippon.com) https://www.nippon.com/ja/japan-topics/today0317/
・手塚治虫 年譜 1960年代(手塚治虫公式サイト) https://tezukaosamu.net/jp/about/1960.html
・鉄腕アトム(手塚治虫公式サイト) https://tezukaosamu.net/jp/manga/291.html
・集英社小史 https://www.shueisha.co.jp/history/
・週刊少年ジャンプが貫く、ふたつの主義(集英社 公式記事) https://www.shueisha.co.jp/pickup/17144/
・劇画(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E5%8A%87%E7%94%BB
・雑誌「ガロ」創刊、漫画家の白土三平さん死去(J-CAST ニュース) https://www.j-cast.com/2021/10/26423394.html
・赤塚不二夫(コトバンク・日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/%E8%B5%A4%E5%A1%9A%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E5%A4%AB-167716

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