No.201新着 がきデカ(秋田書店・1974年) シリアスな「光る風」の作者が開いた、一発ギャグの時代
『がきデカ』は山上たつひこが1974年から1980年まで『週刊少年チャンピオン』に連載したギャグ漫画である。作者は政治色の濃いSF『光る風』で注目された人で、のちに小説家へ転じ、2020年代にも小説を発表している。作品の笑いと、保護者からの反対、作者の歩みを資料で整理する。
本文と出典
あらまし
『がきデカ』は、山上たつひこが秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に連載したギャグ漫画である。連載は1974年に始まり、1980年に終わった。単行本は秋田書店の少年チャンピオン・コミックスで全26巻。
主人公は、警察官を自称する小学生である。コトバンクはこの設定を「少年警察官」と説明する。日刊ゲンダイの記事は、夏休みに警察学校を卒業した日本初の少年警察官、と紹介する。
作者の山上は1947年に徳島県で生まれ、大阪で育った。『がきデカ』を描く前に、政治状況を映した長編SF『光る風』で注目され、グロテスクなギャグ漫画『喜劇新思想大系』で作風を変えている。
この記事は、作品そのものと、作者の歩みを一緒に追う。ギャグの中身は言葉で説明するにとどめ、台詞や場面は引かない。
主なできごと
・1947年 12月13日、徳島県に生まれる(コトバンク)
・1965年 貸本漫画『秘密指令0』でデビューしたとされる(日本人名大辞典)。百科事典マイペディアは1966年の『とびこんだ熊じいさん』をデビュー作とする
・1969年 『週刊少年マガジン』で『二人の救世主』を連載し、大手の少年誌に進出する(マンガペディア)
・1970年 『週刊少年マガジン』で『光る風』を連載する(マンガペディア)
・1972年 『喜劇新思想大系』の連載が始まる(マンガペディア。掲載誌は『マンガストーリー』)
・1974年 『週刊少年チャンピオン』で『がきデカ』の連載が始まる
・1980年 『がきデカ』の連載が終わる(日刊ゲンダイ)
・1988年 最初の小説『ブロイラーは赤いほっぺ』を出す(日本人名大辞典)
・1989年 『がきデカ ファイナル』を『週刊少年チャンピオン』に連載。10月にテレビアニメが始まる(マンガペディア)
・2004年 『ビッグコミック』で続編が連載される(マンガペディア)
・2014年 原作を担当した『羊の木』(いがらしみきお画)が文化庁メディア芸術祭の優秀賞を受ける
・2021年 短編小説集『王子失踪す』を新潮社から出す
・2023年 4月から日刊ゲンダイDIGITALで小説『金鳳花のフール』の連載が始まる
くわしく 『がきデカ』の笑い
オールアバウトの記事は、この作品の特徴を、場面のつながりと関係のない、単発のギャグにあると述べる。赤塚不二夫のギャグが場面をつなぐ合図として働いていたのに対し、山上のギャグはわざとつながりを断っている、という比較である。
日刊ゲンダイの紹介記事によれば、主人公の頭は体と同じ大きさの二頭身で描かれる。決めゼリフ的なギャグがあり、当時の小学生が学校でまねをし、大人の間でも流行した。そのギャグは台詞としてここには書かない。
同じ記事は、文芸評論家に絶賛され、「小説が上、漫画は下」という風潮を一部で変えた作品だと書く。後年の警察ギャグ漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者が、山上を尊敬して、はじめは山上に似せたペンネームで描いたとも書かれている。オールアバウトの記事も同じ話に触れるが、そちらは筆者の推測という扱いである。
くわしく 作者の歩み
マンガペディアによれば、山上は高校卒業後、貸本の出版社である光伸書房(日の丸文庫)に入り、編集の仕事をしながら漫画を描いていた。デビューの年は、資料によって1965年と1966年に分かれる。この記事では、どちらかに決めない。
1970年の『光る風』は、マンガペディアが、当時の政治状況を映したポリティカル・フィクションとして高く評価されたと記す作品である。新潮社の著者紹介も、この作品で注目を集めたと書く。山上自身は2023年のインタビューで、50年以上前に『光る風』の扉絵で胎児の行列を描いたことが、生まれられなかった赤ん坊を意識し続ける出発点になったと語っている。
その2年後の『喜劇新思想大系』について、新潮社の著者紹介は、写実的な画風でギャグのスタイルを確立した作品とする。コトバンクは、性をモチーフにしたグロテスクで破壊的なギャグ漫画への転換点と説明する。なお、コトバンクの書名は「喜劇新思想体系」と書かれており、資料によって綴りが違う。この記事は、新潮社とマンガペディアの「大系」に合わせた。
その後は、1988年に小説を出し、1989年の『がきデカ ファイナル』のあとで小説家への転向が伝えられている。日本人名大辞典は、平成2年(1990年)から作家活動に専念したとする。ただし、その後も漫画の原作は手がけ、2011年に始まった『羊の木』は2018年に実写映画になった。
なぜ今も語られるのか
『がきデカ』は、ギャグ漫画の源流の一つとして今も名前が挙がる。日刊ゲンダイの記事は、現在のギャグ漫画の源流だと位置づけ、オールアバウトの記事は、連載中に雑誌の売上が伸びて漫画界を揺るがしたと書く。ただし、売上の数字は、今回開けた資料では確かめられなかった。
この作品が語られ続ける理由として、確かめられることは、作者の評価が漫画だけで終わっていない点である。文芸評論家に評価されたという記述や、のちの小説家としての活動が、それを裏づける。
ジージは1954年生まれで、1974年には20歳だった。『がきデカ』を少年期に読んだ世代というより、その一つ前の世代にあたる。1970年の『光る風』が載った『週刊少年マガジン』は、ジージが16歳のときの雑誌である。同じ作者の、まったく違う二つの顔を、年齢の違う読者が別々の雑誌で受け取ったことになる。
評価の分かれる点
オールアバウトの記事は、下品な冗談が多いとして、反対する保護者が多く、「読んではいけない漫画」の代表になったと書く。ここでいう保護者の反対は、この一本の記事に基づく。PTAなど団体による抗議の記録は、今回開いた資料では確かめられなかった。
一方で、同じ作品を文芸評論家が絶賛した、という記述もある。当時の表現をどう評価するかは、読む側の価値観で変わる。後年の見直しについては、確かめられた資料がなく、ここでは断定しない。
また、アニメの放送開始日は、文化庁メディア芸術データベースの記録が1989年10月16日で、MyAnimeListは10月6日と食い違う。この記事は、マンガペディアに合わせて、10月としか書かなかった。
くらさんの考察
連載を追うと、1970年に社会派のSFを描いた作者が、1974年に笑いのために場面のつながりを断つ作品を描いた、という落差が目立つ。この落差は、作者が写実的な画風を保ったまま笑いの種類を変えたことで生まれた、と考えられる。新潮社の紹介は、『喜劇新思想大系』の時点で「写実的な画風によるギャグ」が確立したと書いており、その延長に『がきデカ』があるように見える。ただし、画風の変遷を個別の回で確かめたわけではない。
テレビアニメ化が連載終了の約9年後だったことも、資料から読み取れる。連載当時の人気がアニメで広がったのではなく、時間を置いてから映像になったのである。映画化については、確かめられる資料が見つからなかったので書かない。
保護者の反対と、評論家の絶賛が同じ作品について記されていることは、評価が一つに定まらなかったことの表れと考えられる。
ジージへの問いかけ
・ジージは20歳のころ、『がきデカ』の流行をどこで目にしましたか。周りの子どもや職場で、ギャグをまねする人はいましたか。
・16歳のときの『光る風』を覚えていますか。同じ作者がその数年後にギャグ漫画を描いたと知ったとき、どう思いましたか。
・当時、「読んではいけない漫画」と言われた作品が、ジージの身の回りにもありましたか。
出典
・コトバンク「山上たつひこ」(百科事典マイペディア、日本人名大辞典ほか) https://kotobank.jp/word/山上たつひこ
・マンガペディア「山上たつひこ」 https://mangapedia.com/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%B2%E3%81%93-3n7wc4bbx
・新潮社「山上たつひこ」著者紹介 https://www.shinchosha.co.jp/writer/7030/
・新潮社『王子失踪す』 https://www.shinchosha.co.jp/book/354351/
・日刊ゲンダイDIGITAL「『がきデカ』(全26巻)山上たつひこ作」 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/370953
・日刊ゲンダイDIGITAL「新連載小説『金鳳花のフール』著者・山上たつひこ氏 直前インタビュー」 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/320882
・オールアバウト(ギャグ漫画の流れを論じた記事) https://allabout.co.jp/gm/gc/465760/
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが漫画QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。