No.33新着 青年漫画と劇画 貸本から青年誌までの道すじ
劇画は、1950年代の大阪の貸本の世界で、辰巳ヨシヒロらが子ども向けの漫画と区別するために名付けた。1960年代に少年誌へ入り、1967年の週刊漫画アクション、1968年のビッグコミックなどの青年誌につながった。1979年と1980年にはヤングジャンプとヤングマガジンが続いた。
本文と出典
あらまし
劇画は、子ども向けの漫画と区別するために、1950年代の大阪の貸本の世界で生まれた呼び名であり、表現のやり方でもある。名付けたのは辰巳ヨシヒロである。
劇画は、少年週刊誌が読者の成長に追いつかなくなった1960年代に、青年向けの漫画の土台になった。1967年に『週刊漫画アクション』、1968年に『ビッグコミック』が創刊され、青年漫画の雑誌が形をなす。その後、1979年に『ヤングジャンプ』、1980年に『ヤングマガジン』が続いた。
主なできごと
・1956年 大阪の貸本出版社・八興で、貸本の短編集『影』が創刊される(中野晴行の記事)
・1958年 貸本漫画の短編集『影』16号に「劇画」の語が載ったとされる(ブリタニカ国際大百科事典)
・1959年 1月、大阪で劇画工房が結成される
・1960年 劇画工房のメンバーが東京・国分寺へ移る
・1964年 7月、『月刊漫画ガロ』が創刊
・1967年 『少年』と『週刊少年マガジン』で劇画の連載が始まる。『週刊漫画アクション』が創刊
・1968年 『ビッグコミック』が創刊。さいとう・たかを『ゴルゴ13』の連載が始まる
・1979年 6月、集英社『ヤングジャンプ』が創刊
・1980年 7月、講談社『ヤングマガジン』が創刊
・2021年 9月24日、さいとう・たかをが84歳で死去
貸本の世界で生まれた劇画
中野晴行によれば、劇画は大阪の貸本専門出版社・八興に集まった若手作家たちが生み出した新しいジャンルである。さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロらが、子どもではなく等身大の登場人物を描いた。「劇画」という呼称は辰巳ヨシヒロの発案である。1959年1月に大阪で劇画工房が結成され、1960年にメンバーは東京へ移った。
コトバンクの世界大百科事典(鶴見俊輔の項目)は、貸本屋の主な読者を、中学を出て都会で働いた少年たちと説明する。高度成長期の下積みを担った人々である。紙芝居の画家たちの速筆の技法が、劇画に受け継がれたという。
表現の特徴として同じ項目は、一つの行動を描くのにコマ数を多く使い、映画の高速度撮影に近いことを挙げる。戦前の漫画なら1枚で済ませた場面を、30枚ほどで描くこともあった。このため長編になり、貸本向けの単行本の連作になった。
「劇画」の初出をめぐる食い違い
劇画という語がいつ初めて世に出たかは、資料によって食い違う。中野は1956年に貸本短編集『影』が創刊されたと書く。ブリタニカ国際大百科事典は、1955年ごろに大阪で松本正彦や辰巳らが「駒画」「劇画」と呼んでいたとし、誌上に「劇画」が初めて現れたのを1958年の『影』16号としている。ウィキペディア(補助)は1957年末の別の貸本誌の扉とするが、くらさんは公的な資料で確かめられなかった。本稿はそのため、年を一つに決めない。
少年誌への広がりと青年誌
劇画は、はじめ児童誌から「暴力的」と敬遠された。それでも、1964年7月に創刊された『月刊漫画ガロ』は、白土三平『カムイ伝』を軸に、学生運動の時代の若者の心をつかんだ(中野晴行)。1967年には『少年』でさいとう・たかを『ザ・シャドウマン』、『週刊少年マガジン』で『無用ノ介』の連載が始まる。
同じ1967年に『週刊漫画アクション』(双葉社)、1968年に『ビッグコミック』(小学館)が創刊し、読者層は青年へ広がった。少年誌の読者だった団塊の世代が成長して現れた「18歳の壁」を越える意図があった、と中野は説明している。
さいとう・たかを『ゴルゴ13』は、報道によれば1968年に『ビッグコミック』で連載が始まった。2021年7月に単行本が201巻に達し、単一の漫画シリーズとして最も多い巻数でギネス世界記録に認定された。さいとうの死後も、さいとう・プロダクションと脚本スタッフ、編集部が連載を続けると報じられた。さいとうは、作画スタッフを集めた分業制を導入し、自身は構成や構図にあたるネームに力を注いだ(島田一志、nippon.com)。
1979年6月、集英社の『ヤングジャンプ』が月2回刊で創刊され、のち『週刊ヤングジャンプ』に継続した(国立国会図書館の書誌)。1980年7月には、講談社の『ヤングマガジン』が創刊した(同)。
今どうなっているか
青年誌の部数も下がっている。中野の記事によれば、青年誌や少女誌、女性誌で100万部を超えるものはなく、青年誌の損益分岐点は約50万部とされる。紙のマンガ雑誌の販売金額は、2014年の1313億円から2023年の497億円へと約6割減った。電子コミックは同期間に887億円から4830億円へ拡大している。
評価の分かれる点
劇画とは何か、という定義が揺れる。デジタル大辞泉は、物語性があり描線が動的で、遠近や背景が写実的な漫画とする。ブリタニカは、笑いよりも現実的なドラマの展開を強調する漫画とし、定義はまだ曖昧だと付け加えている。
また、劇画の流行がなぜ弱まったのかについては、確かめた資料では理由を一つに決められなかった。本稿では理由を断定しない。
くらさんの考察
青年漫画は、青年を読者に想定した雑誌に載る漫画で、少年漫画と同じく載る雑誌で決まる呼び名と見るのが整理しやすい。
劇画は、題材より先に「誰に向けて描くか」を変えた運動だったと考えられる。貸本屋の読者が大人に近い若者だったことが、描く内容を子ども向けから遠ざけたのだろう。
青年誌が1960年代末にそろったのは、少年誌の読者が成長して、行き場が必要になった時期と重なる。ただし、雑誌創刊の数だけで、需要の大きさまでは言えない。
ジージへの問いかけ
・貸本屋に通った記憶はありますか。どんな本を借りましたか。
・少年誌から青年誌へ移ったのは、いつごろ、どんなきっかけでしたか。
・劇画という言葉に、ジージはどんな絵柄を思い浮かべますか。
出典
・中野晴行「「多種多様」日本マンガ興隆の原点は大阪に」nippon.com、2025年2月3日 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b11503/
・中野晴行「マンガの芸術性はなぜ高まったのか 表現の実験場『ガロ』が切りひらいたもの」nippon.com、2025年9月22日 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b11506/
・中野晴行「なぜ日本人は大人もマンガを読むのか」nippon.com、2025年7月10日 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b11505/
・中野晴行「デジタル発『SPY×FAMILY』メガヒットの衝撃」nippon.com、2024年10月27日 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b11501/
・コトバンク「劇画」(世界大百科事典、デジタル大辞泉、ブリタニカ国際大百科事典ほか) https://kotobank.jp/word/%E5%8A%87%E7%94%BB
・ウィキペディア「劇画」(補助。初出の年の手がかりとして参照) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E7%94%BB
・島田一志「「劇画の王様」さいとう・たかをが作った新しい漫画の形」nippon.com、2021年11月14日 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01210/
・「さいとう・たかをさん死去「ゴルゴ13」は終わらない!連載継続」デイリースポーツ、2021年9月30日 https://www.daily.co.jp/gossip/2021/09/30/0014720835.shtml
・国立国会図書館サーチ「Young jump」 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000032238
・国立国会図書館サーチ「ヤングマガジン」 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000033463
動画
・劇画文化「大きく育んだ」 さいとう・たかをさんお別れの会 東京(時事通信トレンドニュース)https://www.youtube.com/watch?v=PqUXtJr3NAM
・マンガにおける劇画ジャンルを築いた辰巳ヨシヒロのアニメドキュメンタリー!映画『TATSUMI マンガに革命を起こした男』予告編(シネマトゥデイ)https://www.youtube.com/watch?v=S-9E3o7JHP4
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