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No.105新着 水木しげる 戦地の経験を紙芝居と貸本漫画から妖怪へ

水木しげる(1922〜2015年)は、戦地で左腕を失ったあと、紙芝居と貸本漫画を経て、妖怪漫画の第一人者になった。1965年に『週刊少年マガジン』で鬼太郎の連載を始め、戦争体験を描いた作品でも海外の賞を受けた。

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登録日時
2026年11月1日 06:19
出典を確かめた日
2026年11月1日
分野
漫画家と編集者
立場
事実・データ
タグ
漫画家新着少年漫画新着歴史・時代新着アニメ化・映像化新着海外とのつながり新着
作品・人物
水木しげる、ゲゲゲの鬼太郎、悪魔くん、河童の三平、総員玉砕せよ、のんのんばあとオレ
資料の種類
事典・概説
年代
1957年、1960年代、1965年

本文と出典

あらまし

水木しげるは、本名を武良茂といい、1922年3月8日に生まれ、2015年11月30日に亡くなった漫画家である。鳥取県境港市で育った。デジタル大辞泉は、妖怪漫画の第一人者として長年活躍したと書く。代表作『ゲゲゲの鬼太郎』は、各地に伝わる民間伝承を取り込んだ作品として紹介される。戦争体験を生かした昭和史の作品でも知られる。

主なできごと

・1922年 3月8日に生まれる(水木プロダクションの略歴)
・1943年 召集されて南方のラバウルに送られ、負傷して左腕を失う
・1946年 復員し、武蔵野美術学校に入る(1950年に中退したと百科事典マイペディアは記す)
・戦後 魚屋、輪タクの親方、アパート経営などを経て、紙芝居作家になる。のち貸本漫画の世界に移る
・1957年 貸本漫画『ロケットマン』でデビューする。ブリタニカ国際大百科事典は1958年とする
・1964年 貸本劇画『悪魔くん』(全2巻)が出る
・1965年 『テレビくん』で講談社児童まんが賞を受ける。同じ年、『週刊少年マガジン』で『墓場の鬼太郎』(のちの『ゲゲゲの鬼太郎』)の連載を始める
・1991年 紫綬褒章を受ける
・2003年 旭日小綬章を受ける。境港市に水木しげる記念館が開館する
・2010年 文化功労者に選ばれる
・2015年 11月30日に死去する

くわしく 戦地の経験と戦後

戦傷病者史料館(しょうけい館)の企画展案内によると、水木は21歳で召集令状を受け、パプアニューギニアのラバウルへ送られた。マラリアで衰弱していたときに爆弾で負傷して、左腕を失った。戦後も貧しい暮らしが続き、魚屋として働いたり、街頭募金をしたりしながら、紙芝居と貸本漫画の仕事を経て漫画家になった。
国立国会図書館の書誌データにある著者紹介は、復員後に輪タクの親方、アパート経営、紙芝居作家などを経て、貸本向けの漫画を描き始めたと説明する。職業の順序は資料により書き方が違うため、この記事では順序を断定せず、列挙にとどめた。

くわしく 貸本から少年雑誌へ

世界大百科事典の「劇画」の項は、1960年代に貸本屋から少年週刊誌へ劇画が広がる流れを説明し、水木の『悪魔くん』(1964年)を、紙芝居で育った貸本屋の読者層に向けた代表例に挙げる。
『ゲゲゲの鬼太郎』は、1965年の『週刊少年マガジン』での連載が、ブリタニカ国際大百科事典としょうけい館の資料に共通して記される。連載の題は当初『墓場の鬼太郎』で、のちテレビアニメにもなった。

妖怪と戦争の二つの仕事

ブリタニカ国際大百科事典は、水木が妖怪や民族神に関心を持ち、妖怪研究者としても知られたと書く。著書に『妖怪事典』『妖怪画談』がある。
戦争体験を描いた仕事は別に数えられる。『娘に語るお父さんの戦記』(1982年)、『総員玉砕せよ!』などで、後者は2009年にフランスのアングレーム国際漫画祭の遺産賞を、2012年に米国のウィル・アイズナー賞の最優秀アジア作品賞を受けた(水木プロダクションの略歴)。ほかに『のんのんばあとオレ』が、2007年にアングレーム国際漫画祭の最優秀コミック賞を受けている。

なぜ今も語られるのか

鬼太郎は、テレビアニメと原作の双方で世代を超えて知られる。境港市の記念館は、2003年に開館した。水木プロダクションの公式サイトには、記念館のページへのリンクがある。
水木の仕事が長く語られる理由は、資料から二つ読み取れる。一つは、妖怪の図像と民間伝承を、少年雑誌の読者の手が届く形に整えたことである。もう一つは、戦場の経験が、戦記の作品や昭和史の作品として別の系列を成したことである。

評価の分かれる点

デビューの年は、1957年と1958年の二通りがある。また、水木が漫画界に与えた影響の大きさについて、今回取り上げた資料は、直接の評価をほとんど述べていない。他の漫画家への影響という話は、確かな出典が見つからないので、この記事では書かない。

くらさんの考察

水木の経歴は、「戦争」「貧しさ」「紙芝居」「貸本」という、少年雑誌の外側にあった仕事の連なりとして読める。鬼太郎の連載が少年雑誌で始まったのは、その延長線上で読者層を広げた出来事だったと考えられる。ただし、貸本の読者がそのまま雑誌の読者になったかどうかは、資料からは確かめられない。

ジージへの問いかけ

・ジージは、紙芝居や貸本屋の記憶がありますか。そこで読んだ絵に、今も覚えているものはありますか。
・鬼太郎を初めて知ったのは、漫画、テレビ、人形のどれでしたか。
・戦争体験を描いた漫画を、ジージはどんな思いで読みますか。

出典

・水木プロダクション「水木しげるプロフィール」 https://www.mizukipro.com/profile/
・コトバンク「水木しげる」(デジタル大辞泉、ブリタニカ国際大百科事典、日本人名大辞典プラス、百科事典マイペディア、世界大百科事典「劇画」ほか) https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B-167719
・しょうけい館(戦傷病者史料館)平成29年春の企画展案内(厚生労働省掲載のPDF) https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-12101000-Shakaiengokyoku-Engo-Engokikakuka/0000153947.pdf
・国立国会図書館サーチ『水木しげるのラバウル従軍後記』の書誌・著者紹介 https://ndlsearch.ndl.go.jp/en/books/R100000002-I031999366

動画

・【公式】水木しげる記念館案内(【公式】Hey, KITAROチャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=6-J_d5PjeBc

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