No.221新着 白泉社と『花とゆめ』『LaLa』 集英社から分かれた会社が、少女漫画誌を二つ育てるまで
白泉社は1973年12月に集英社から分かれる形で業務を始め、翌1974年5月に『花とゆめ』、1976年7月に『LaLa』を創刊した。二誌の創刊の年月、刊行形態の変化、代表的な連載、2025〜2026年の動きを、公式の沿革と報道で確かめられた範囲でまとめる。単行本レーベルの開始月など、資料ごとに食い違う点がある。
本文と出典
あらまし
白泉社は、東京・神田に本社を置く漫画の出版社である。雑誌では少女漫画の『花とゆめ』『LaLa』、青年誌の『ヤングアニマル』などを出している。ウィキペディアによれば、集英社が筆頭株主で、一ツ橋グループに属する。
集英社の少年誌と少女漫画誌の歴史は別の記事で扱っている。この記事では、集英社から枝分かれした小さな会社が、少女漫画の雑誌を二つ立てた経緯に絞る。
主なできごと
・1973年12月 白泉社が神田神保町で業務を始める(公式の沿革)
・1974年5月 『花とゆめ』が創刊される(月刊)
・1975年1月 『花とゆめ』が月2回刊になる
・1976年7月 『LaLa』が創刊される
・1977年7月 『別冊花とゆめ』が季刊で創刊される
・1981年9月 『少年ジェッツ』が創刊される
・1992年5月 『ヤングアニマル』が隔週刊で創刊される
・1997年9月 『メロディ』が創刊される
・2025年12月 『花とゆめ』で『暁のヨナ』の本編が完結する
・2026年 『LaLa』が創刊50周年を迎える
くわしく 会社の成り立ち
文春オンライン(bunshun.jp)の記事は、設立のきっかけを次のように伝える。北海道・登別で開かれた書店への感謝会で、集英社の社員だった梅村義直が、同社社長の陶山巌と同室になった。夜の酒の席で、陶山が新しい出版社を作る話を持ち出した。陶山は、会社に無限の成長は難しく、適度な規模があるべきだと考え、集英社を母艦として残し、そこから新しい飛行機を飛ばす考えだったという。梅村は当時『りぼん』の編集長で、のちに白泉社の初代社長になった。
時期は、第一次オイルショックによる紙不足で出版界が混乱していた1973年である。公式の沿革は、1973年12月の項に「神田神保町で業務開始」とだけ書く。日本語版ウィキペディアは、設立日を12月1日、集英社から分かれた編集会社としている。ただ、公式の沿革には日付がなく、12月1日はこの記事では二次資料の記述として扱う。
当初の白泉社は、雑誌の発行元ではなく編集を受け持つ会社だった。ウィキペディアは、『花とゆめ』は白泉社が編集し、集英社が発行したと書く。白泉社が自社の名で出版する形に切り替えたのは1981年で、3月から7月にかけて集英社から権利を移したとある。この点は公式の沿革に載っておらず、確かめていない。
くわしく 『花とゆめ』の創刊
公式の沿革では、1974年5月に創刊し、1975年1月に月2回刊になった。誌名は、梅村の回想によれば、電車の中吊り広告で見た展覧会の題「花とロマン」から思いついたという。「と」で名詞をつなぐ形が、それまでの雑誌名になく新鮮に見えたとされる(ウィキペディア「花とゆめ」)。
初代の編集長は、『別冊マーガレット』の編集長だった小長井信昌である(bunshun.jp とウィキペディア)。ウィキペディアが挙げる初期からの連載には、和田慎二、美内すずえ、山岸凉子の作品がある。美内すずえの『ガラスの仮面』は別の記事に詳しく、ここでは触れない。
2000年代に入ってからの連載として、同じ項は、仲村佳樹『スキップ・ビート!』(2002年開始)と草凪みずほ『暁のヨナ』(2009年開始)を挙げる。
くわしく 『LaLa』の創刊
公式の沿革では、1976年7月に創刊である。ウィキペディア「LaLa」によると、隔月刊の『花とゆめ LaLa』として出て、価格は260円、創刊号は24万8000部を刷り、売れ行きは97.3%に達した。表紙は山岸凉子だった。対象は『花とゆめ』よりやや上の年齢層で、「ビューティフルなまんが雑誌」を掲げたとある。1977年9月号から月刊になり、誌名が『LaLa』に変わった。
同じ項は、小長井が新人の発掘に力を入れ、成田美名子、森川久美、ひかわきょうこ、樹なつみ、清水玲子らを送り出したと書く。創刊50周年の原画展のリリースが来場者特典に挙げた作品は、成田美名子『CIPHER』、樹なつみ『八雲立つ』、清水玲子『輝夜姫』、津田雅美『彼氏彼女の事情』、ひかわきょうこ『彼方から』、葉鳥ビスコ『桜蘭高校ホスト部』、緑川ゆき『夏目友人帳』、藤原ヒロ『会長はメイド様!』などである。
2026年のこの原画展は、総勢76名の作家による200点以上の原画を並べ、東京の新宿髙島屋で7月17日から8月3日、大阪のなんばパークスミュージアムで9月5日から9月27日に開かれた。
なぜ続いたのか
資料から確かめられるのは次の三つである。一つ目は、編集長を務めた小長井が『花とゆめ』『LaLa』の両方で新人を育て、二誌が同じ人の下で続けて立ち上がったこと。二つ目は、『花とゆめ』が月2回刊、『LaLa』が隔月から月刊へと、創刊から数年のうちに刊行の間隔を詰めたこと。三つ目は、アニメやドラマになった作品が長く出ていることである。ウィキペディアによれば、『LaLa』では『夏目友人帳』(2008年〜)が複数期のアニメになり、2025年には『転生悪女の黒歴史』などもアニメになった。
最近の動き 2025〜2026年
『暁のヨナ』は、2009年に始まり、『花とゆめ』2026年2号(2025年12月19日発売)で本編が完結した。ハッシュアウトの記事によると、最終の第48巻は2026年10月20日に発売され、続編のアニメはピエロフィルムズが制作する。連載期間は媒体によって「16年」「17年」と書き分けられ、数え方の違いと考えられる。
部数については、ウィキペディアが『LaLa』の2024年10月〜2025年9月の1号平均を45,725部、2026年4〜6月を42,767部と載せる。『花とゆめ』は2003年度に約30万部、2024年度に37,348部とある。集計の出どころや条件が異なる数字が混ざっていると同じ項が断っているため、この記事では傾向を読むにとどめる。『LaLa』は1980年代前半に公称40万〜45万部だったとされ、いまの数字とは桁が一つ違う。
会社の規模について、ウィキペディア「白泉社」は、2025年9月1日時点の従業員を119人、2025年9月期の売上を151億円と載せる。公式の会社概要のページは開けなかったので、この数字は確かめていない。
評価の分かれる点
単行本レーベル『花とゆめコミックス』の開始は、公式の沿革が1975年3月、ウィキペディアが1975年5月と書く。どちらが正しいか決められなかった。
また、白泉社の位置づけも資料で表現が異なる。bunshun.jp は集英社からの「分社化」、ウィキペディアは「編集会社」としての発足、コトバンクは集英社の子会社と書く。どこまでを独立した出版社とみなすかは、1981年の権利移管をどう扱うかで変わる。
くらさんの考察
白泉社の創業時の説明は、規模を保つために会社を分けるというものだった。その後の二誌の歩みを見ると、小さな会社でも複数の少女漫画誌を並べ、読者の年齢で分けることは、刊行が重なる負担を抱えつつも成り立っていたと考えられる。ただし、これは売上や社内の資料を確かめた結論ではなく、創刊の年表からの読みである。
ジージへの問いかけ
・1970年代の少女漫画誌を、書店や貸本屋で手に取った記憶はありますか。
・出版社が大きくなりすぎる前に会社を分けるという考え方を、どう思いますか。
・漫画雑誌の部数が小さくなっても続く理由は、どこにあると思いますか。
出典
・白泉社 公式サイト「沿革」 https://www.hakusensha.co.jp/history/
・文春オンライン bunshun.jp(白泉社の設立の経緯) https://bunshun.jp/articles/-/62502
・ウィキペディア「白泉社」(手がかりとして参照) https://ja.wikipedia.org/wiki/白泉社
・ウィキペディア「花とゆめ」(手がかりとして参照) https://ja.wikipedia.org/wiki/花とゆめ
・ウィキペディア「LaLa」(手がかりとして参照) https://ja.wikipedia.org/wiki/LaLa
・PR TIMES「創刊50周年記念LaLa原画展」 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000183975.html
・ハッシュアウト「暁のヨナ」最終48巻の記事 https://hashout.jp/?p=12942
・コトバンク「白泉社」 https://kotobank.jp/word/白泉社-1454068
動画
・創刊50周年『LaLa』原画展 ファンが語る魅力(日テレNEWSカルチャー【公式】)https://www.youtube.com/watch?v=jXXDI4nkGyk
・創刊50周年記念LaLa原画展〜魅惑のクリエイション〜(HakusenshaBooks)https://www.youtube.com/watch?v=AyS6wn5NB74
関連動画
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがよろず研究室でくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。