No.211新着 ブラック・ジャック(秋田書店・1973年) 短期の予定が十年続いた、無免許医の読み切り劇場
手塚治虫が『週刊少年チャンピオン』に1973年から描いた医療漫画の読み切り連作。当初は数回の短期連載の予定だったが人気で続いた。連載期間や話数は資料ごとに数え方が違うので、並べて示す。
本文と出典
あらまし
『ブラック・ジャック』は、手塚治虫が秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に1973年11月から描いた漫画である。主人公は、天才的な腕を持ちながら医師免許を持たない外科医。法外な治療費を求める一方で、患者の命には本気で向き合う。1話で完結する形式で、毎回ちがう病気やけがと、ちがう人間模様が出てくる。
手塚治虫は1928年生まれ、1946年に漫画家としてデビューし、医師免許と医学博士の学位も持っていた。この作品は、その経歴を作品の中心に据えたものである。
主なできごと
・1973年11月 『週刊少年チャンピオン』で連載開始(初回は11月19日号とする資料がある)
・1975年 日本漫画家協会賞の特別優秀賞(第4回)
・1977年 講談社漫画賞の少年部門(第1回)
・1978年 連載の本誌掲載が一区切りとなる(資料により異なる、後述)
・1983年 読み切りでの掲載が終わったとされる
・1989年 手塚治虫が60歳で死去
・1993年 出崎統監督のOVAシリーズが始まる
・2004年 テレビアニメが日本テレビ系で始まる
くわしく 始まりは5回の予定だった
手塚治虫の公式サイトの作品紹介によると、連載は「マンガ家生活30周年記念・手塚治虫ワンマン劇場」と銘打たれた。編集部から求められたのは、多くても5回分である。作者のあとがきを引いて、同サイトは次のように伝える。最初の数話は、主人公が影のような存在のまま消えてもよいつもりで描いた。ところが読者の反応がよく、そのまま続くことになった。京都国際マンガミュージアムの展覧会関連の記事も、当初は4回ほどで終わる可能性があったと書いている。回数が資料ごとに4回と5回で違うが、どちらも短期連載の予定だった点は一致する。
形式は、毎回20ページほどの読み切りである。手塚の他の作品の人物がたびたび顔を出す点も特徴で、漫画事典のマンガペディアは、医学漫画の先駆けとして位置づけている。
くわしく 連載期間と話数の数え方
連載期間は、資料によって次のように分かれる。
・マンガペディアは、『週刊少年チャンピオン』の1973年48号から1978年44号までとする。
・京都国際マンガミュージアム関連の記事(museum.or.jp)は、5年間で229話とする。
・手塚治虫の公式サイト(英語版)は、1973年11月19日から1983年10月14日までと日付を挙げる一方、本文では「5年間」と書く。話数は連載中の読み切りが230話で、のちに13話が加わったとする。
・英語版ウィキペディアも1973年から1983年までとし、単行本は『少年チャンピオン・コミックス』で全25巻とする。
数字が食い違う理由を、資料から確定することはできなかった。ただし、5年間・229話という数字は、週刊連載の主な部分を指すと読める。1983年までという数え方は、その後も不定期に載った作品を含めたものと考えられる。公式サイトの「230話」と他の「229話」は1話の差で、数え方の違いと見るのが自然だが、理由は確かめていない。
発行部数は、英語版ウィキペディアが「日本国内で4,766万部以上」と書き、NHKの記事(2023年7月3日付)を根拠に挙げている。ただし、そのNHKの記事を開いて確かめられていないので、数字の条件(紙のみか、電子を含むか)は不明のままにしておく。
なぜ受けたのか
連載が始まったころの手塚治虫については、苦しい時期だったと書く資料が複数ある。京都国際マンガミュージアム関連の記事は、「手塚は古い」と見られていた時代に描かれた異色の作品と紹介する。英語版ウィキペディアは、劇画の台頭で人気が揺らいでいた手塚の復活を告げた作品とし、『週刊少年チャンピオン』にとっても最も成功した時期の始まりだったと述べる。こうした評価は後年の整理であり、当時の読者がどう感じたかを直接示す資料は確かめられていない。
読み切りという形式は、毎週誌面を買う読者に向いていた。前の号を読んでいなくても、その号だけで一つの話が終わる。さらに、病気や手術という題材は、子どもにも大人にも身近である。手塚の医学の知識が、細部の説得力を支えたと考えられる。同サイトによれば、手塚は後年、実際には多くの治療や病気を創作したと語ったとされる。医学の知識と作り事のあいだの線引きも、この作品を読むときの一つの見どころである。
映像化とその後
英語版ウィキペディアによれば、アニメ化は1980年の『鉄腕アトム』のリメイク版にゲスト出演した形が最初で、独立した作品としては1993年12月に出崎統監督のOVAシリーズが始まった。1996年には劇場版が作られ、2004年10月から2006年3月まで、日本テレビ系でテレビアニメ全61話が放送されたとされる。続いて2006年に『ブラック・ジャック21』、2015年に『ヤング ブラック・ジャック』が作られた。これらの年は英語版ウィキペディアに頼ったもので、日本語の公式資料では照合しきれていない。
評価の分かれる点
賞の履歴にも、資料の違いがある。マンガペディアは1975年の日本漫画家協会賞特別優秀賞と、1977年の第1回講談社漫画賞少年部門を挙げる。英語版ウィキペディアは後者だけを記し、前者には触れていない。公的な受賞記録で確かめるまでは、前者は「マンガペディアによる」と断る必要がある。
また、「手塚の復活作」という見方は広く語られるが、それ以前の手塚が本当に不振だったのか、不振の中身は何だったのかは、資料によって温度差がある。ここでは、そう語る資料が複数ある、という範囲にとどめる。
くらさんの考察
この作品が長く読まれる理由として、1話ごとの完結性があると考えられる。どこから読んでも始められ、一つ読めば満足でき、次を読みたくなる。週刊誌の読み切りという制約が、そのまま作品の強みになった例である。
もう一つは、手塚自身の経歴との重なりである。医師免許を持つ漫画家が、免許を持たない医師を描いた。この逆転が、ただの医療ものに終わらせず、医療とは何か、命に値段を付けるとはどういうことかという問いを、毎回の話の底に置いた。ただし、これは作品を読んだ側の解釈であり、手塚がそう意図したと断定できる資料は確かめていない。
ジージへの問いかけ
・連載が始まった1973年ごろ、手塚治虫の漫画は周りでどう見られていたでしょうか。
・毎週『週刊少年チャンピオン』で読み切りを読んだ記憶があれば、どの話が印象に残っていますか。
・無免許の医師という設定を、当時の子どもたちはどう受け止めたと思いますか。
出典
・手塚治虫オフィシャル(英語版) ブラック・ジャック https://tezukaosamu.net/en/manga/438.html
・マンガペディア ブラック・ジャック https://mangapedia.com/gd/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF-jsv1jkbpb/2
・日本の美術館・博物館ニュース(museum.or.jp) https://www.museum.or.jp/news/113737
・京都国際マンガミュージアム「医師たちのブラック・ジャック展」案内(共同通信PRワイヤー) https://kyodonewsprwire.jp/release/201412186418
・nippon.com 手塚治虫とブラック・ジャック https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02349/
・Wikipedia(英語版) Black Jack (manga) https://en.wikipedia.org/wiki/Black_Jack_(manga)
動画
・ブラック・ジャック(手塚プロダクション公式チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=Nwd_ZZvoQzI
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