No.213新着 連環画(小人書) 掌に載る、中国の小さな絵物語本
連環画は、手のひらほどの大きさの冊子に絵を順に並べて物語を語る、20世紀中国の絵物語本である。上海の貸本文化とともに広まり、1980年代半ばに印刷の頂点を迎えたとされる。起源の時期は資料で食い違う。日本の漫画との関わりは、確かめられた範囲では競争相手としての側面が中心だった。
本文と出典
あらまし
連環画(れんかんが)は、20世紀の中国で広く読まれた、小型の絵物語本である。手のひらに載る大きさの冊子で、基本は一頁に一枚の絵を置き、そこに短い文章を添えて物語を進める。北方では「小人書」(子ども向けの小さな本の意)、上海では「図画書」とも呼ばれたという。
日本の漫画は、コマを割り、吹き出しで人物に話させる。連環画は一頁一絵が基本で、説明の文章が絵を支える。同じ「絵で物語る」本でも、作りがかなり違う。
以下は、開いて確かめられた英語と日本語の資料に基づく。起源と最盛期の数字は資料で食い違うため、並べて示す。
主なできごと
・1884年 朝鮮の政変を描いた挿絵が、上海の画報に載った。これを最初の例になりうると見る説明がある(断定ではない)
・1899年 上海の文藝書局が、絵入りの石版刷り『三国志』を出したとされる
・1916年 新聞社が絵を綴じ込んだ版を出し、中下層の読者を狙ったとされる
・1925年 「連環画」という呼び名を、上海の世界書局が初めて使ったとされる
・1932年 魯迅が連環画を新しい芸術形式と論じたとされる
・1949年 中華人民共和国の成立。以後、政府が内容を管理した
・1966年 文化大革命が始まり、出版が止まった
・1976年 文革の終わり。以後、再び隆盛に向かう
・1985年 中国本土で約81億冊が印刷されたとされる(印刷量の最大の年)
起源はどこまでさかのぼるのか
起源の説明は、資料ごとに異なる。
ウィキペディア英語版は、1884年の画報の挿絵を最初の例になりうるとし、1899年の石版『三国志』、1916年の新聞の綴じ込み版を経て、1925年に呼び名が定まったと並べる。一方、コミックス専門誌 The Comics Journal の紹介記事は、1920年代から30年代の上海で始まったとし、宋代の巻物にまでたどる学者もいると添える。メディア RADII の記事も、本格的な広がりは石版印刷が普及した1920年代とする。
どの年を起点にするかは、挿絵入りの連載ものを含めるか、小さな冊子の形になった時点を取るかで変わる。ここでは「1880年代に前身があり、冊子の形は1920年代の上海で定着した」と、資料が重なる範囲でまとめておく。
上海の貸本屋と読者
この冊子の形が広まった場は、上海の路地の貸本の露店だった。わずかな料金で、木の腰掛けに座って数十冊を読めたと紹介されている。RADII の記事は、1920年代の中国は読み書きができる人と難しい人の中間にあり、絵の多い形式が合っていたと述べる。
題材は、武侠物、西遊記などの民間伝承、芝居、映画の翻案が多かった。出版社は上海の閘北区の通りに小さな店が集まり、1935年には露店主と出版社が連環画の推進団体を作ったとされる。
日本が占領した時期には、インクと紙の不足で出版が止まったという。
建国後の連環画
1949年以降、共産党は連環画を宣伝と教育の道具として使った。内容は国が強く管理し、社会主義的な翻案や案内書が目立った。日本の事典(世界大百科事典)は、連環画を文字の読めない庶民を啓発する絵の伝統から発達し、1930年代に魯迅らの努力で改良されたものと説明する。
1960年以降に生産が持ち直したが、1966年からの文化大革命でふたたび止まった。1970年代の終わりに再開し。
なぜ1980年代に頂点を迎えたのか
1976年の文革終結後、題材は広がり、1980年代はじめには中国の出版全体の四分の一を連環画が占めたと The Comics Journal は書く。1985年の約81億冊は、人口一人あたり7冊を超える計算になるという。この数字は Barbican の展覧会「Mangasia」の解説にも出ている。1冊で100万部を超える題も、1980年代半ばにはあった。
娯楽が少なかった時期に、安く手軽に読める絵の本が受けた、と考えられる。ただし、81億冊は中国本土の印刷量として示された数字であり、「読まれた数」ではない。ウィキペディア英語版は、この種の印刷量の数字を挙げていない。
日本の漫画とはどう関わるのか
確かめられたのは、競争相手としての関わりである。Mangasia の解説は、連環画が1990年代にテレビと漫画に人気を奪われ、ほぼ消えたと述べる。The Comics Journal は、衰退の理由に、作品の質の低下、テレビや日本の漫画との競合、検閲の強まりを挙げる。ウィキペディア英語版は、需要が1980年代末から90年代に大きく落ち、今は漫画と翻訳された日本の漫画のほうが読まれていると記す。
減り方の時期は、1985年のすぐ後とする説明と、1990年代とする説明がある。
連環画と日本の漫画のあいだで、作り手がどのように影響し合ったかは、今回の資料では確かめられなかった。連環画が日本の漫画に影響したという話も、確かな出典を見つけられていない。
評価の分かれる点
起源の年のほかに、連環画を「漫画の一種」と見るか、「挿絵入りの絵物語」と見るかで、見方が分かれる。コマ割りと吹き出しを漫画の条件とするなら、連環画はその外にある。一頁一絵で順に進める形は、紙芝居や絵巻に近いという見方もできる。いずれも、確かな出典で裏づけられた議論ではなく、くらさんが整理した視点である。
くらさんの考察
連環画は、日本の貸本漫画と似た道をたどった、と考えられる。どちらも、安い料金で借りて読む場があり、そこで大衆の読み物が育った。ただし、日本の貸本漫画が雑誌と単行本の世界に引き継がれたのに対し、連環画は、国の管理と、テレビや他国の漫画との競争のなかで細っていった。
同じ形式が、国の事情で別々の運命をたどった点が、この題材の面白さだと考える。
ジージへの問いかけ
・ジージの子どものころ、貸本屋で借りて読んだ本には、どんな思い出があるでしょうか。連環画の貸本の話と重なる部分はあるでしょうか。
・一頁に一枚の絵と文章で進む本と、コマ割りの漫画では、どちらが読みやすいと思いますか。
・1980年代に中国でテレビアニメが広まったとき、日本の作品はどう受け取られたと思いますか。
出典
・Wikipedia(英語)Lianhuanhua https://en.wikipedia.org/wiki/Lianhuanhua
・The Comics Journal "Lianhuanhua: China's Pulp Comics" https://www.tcj.com/lianhuanhua-chinas-pulp-comics/
・Google Arts & Culture(Barbican Centre「Mangasia」)Diversity and Dynamism https://artsandculture.google.com/story/aQWx6_2wWPx0JQ
・RADII "Big Picture: Inside the World of China's Forgotten, Republic-Era Comic Books"(Adan Kohnhorst・2018年8月) https://radii.co/article/big-picture-inside-the-world-of-chinas-forgotten-republic-era-comic-books
・コトバンク 連環画(世界大百科事典・日本国語大辞典) https://kotobank.jp/word/連環画-1590043
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがよろず研究室でくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。